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平戸街道(その3)

 
     
 

3、佐々宿から佐世保宿まで (約15km)

 
 

 (佐々宿) → 古川一里塚 → 口石一里塚 → 半坂峠駕籠立場 → 相神浦本陣 → 吉岡一里塚 → 俵一里塚 → 佐世保宿(佐世保本陣) 

 
             
 
東光寺の山門
 
口石一里塚跡の石碑と榎の大木
 
佐々側から見た半坂
 
 
東光寺の山門
 
口石一里塚跡の石碑と榎の大木
 
佐々側から見た半坂
 
             
 
半坂峠の駕籠立場跡
 
半坂からの遠望
 
佐世保側に下る半坂
 
 
半坂峠の駕籠立場跡
 
半坂からの遠望
 
佐世保側に下る半坂
 
             
 
四反田
 
四反田遺跡
 
相神浦本陣跡
 
 
四反田
 
四反田遺跡
 
相神浦本陣跡
 
             
 
東漸寺の大楠
 
吉岡一里塚跡
 
吉岡
 
 
東漸寺の大楠
 
吉岡一里塚跡
 
吉岡
 
             
 
左石の語源となった大石
 
左石宿
 
眼鏡岩
 
 
左石の語源となった大石
 
左石宿
 
眼鏡岩
 
             
 
俵一里塚跡
 
小崎坂の途中から右へ
 
宮地嶽神社境内から中央公園へ
 
 
俵一里塚跡
 
小崎坂の途中から右へ
 
宮地嶽神社境内から中央公園へ
 
             
 
 
 

東光寺(とうこうじ)   
開基は永享8年(1436)平戸松浦22代豊久(とよひさ)。「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」を奉持して朝鮮の役に参加(26代松浦鎮信(しげのぶ)・3,000の兵を率いる)。朝鮮の役や半坂(はんさか)合戦などの戦死者の霊を祭る。

石(くちいし)一里塚  
隆起海食台地を街道が通り、口石台地の中央部に当たる。平戸街道で、一里塚の大木(榎)が唯一、現存している所でもある。

半坂(はんざか)峠の古戦場 
宗家松浦(飯盛(いいもり)城)と平戸松浦(東光寺が本陣)との攻防戦が(永祿7年1567年)あった所。宋家松浦側・東一党の活躍、平戸松浦側・伝育坊(でんいくぼう)の奮戦(ふんせん)が有名。結果は宗家松浦が平戸松浦の三男親(ちかし)を養子に入れて講和する。結果、平戸松浦は領土を一気に早岐まで広げた。

半坂駕籠立場(はんさかとうげかごたてば)
標高170m。相浦谷と佐々谷の分水嶺(ぶんすいれい)の峠。
半坂は埴(はに)坂より転化。

反田(したんだ)遺跡と門前(もんぜん)遺跡(いせき)
縄文晩期〜弥生前期の遺跡。住居址、水田址、墓地、鏃などが出土。自然堤防上に立地した集落。門前(もんぜん)遺跡は現在発掘中。

浦(あひのうら)本陣(中里(なかざと)本陣)
江戸時代は酒造家の篠崎(しのざき)家が本陣。今は一族の吉村家と西牟田(にしむた)家(富久泉)が跡地を接いでいる。  
伊能忠敬測量隊は、文化9 年(1812年)1月、ここで昼食後、賎津浦へ行き越年。
年頭に「七十に 近き春にぞ あひのうら  九十九島を 生きの松原」の和歌を詠んでいる。

問山(いわとさん)東漸寺(とうぜんじ)
真言宗。中世には宗家松浦家菩提寺、近世では平戸藩の祈願寺。第10代藩主煕公の寄進と言われる山門横の大楠は県指定天然記念物。
愛宕(あたご)勝軍地蔵尊は愛宕祭時、愛宕山頂に祭られる。東漸寺の墓地には宗家13代松浦盛(さかり)<長祿元年(1457年)頃武辺城を築いた>の墓がある。

吉岡(よしおか)一里塚(いちりづか)
小字名で二本松の地にあり、一里塚か街道松が2本、存在していたものと思われる。

吉岡大地滑り  
将冠岳(しょうかんだけ)と前山との間の大地滑りで、相浦谷底平野を埋め、相浦川は浸食で峡谷をなして流れる。街道はこの地滑り台地を直線的に横断している。

左に大石あり
伊能忠敬日記に「字境木・字左石、道端に大石あり」と。
昔は地名になるような大岩だったが、河川改修や道路の積上げなどによりかなり小さくなった。

眼鏡岩(めがねいわ)と安養山西蓮寺(さいれんじ)(曹洞宗)
眼鏡岩は砂岩にできた海食洞(かいしょくほう)。
鬼の民話や、弘法大師が訪れた伝説がある。
江戸時代の平戸八景、軍港時代には佐世保名所に数えられた。
西蓮寺は眼鏡岩を源に、西円寺として現在地に創建されたが、曲折を経て大正8年(1919年)現在地に再移転した。

俵(たわら)一里塚
俵町(たわらまち)旧通り、カーブした道路の西側に突出した所。かつては榎(えのき)の一里塚と茶店、湧水(わきみず)がある休憩地であった。

佐世保宿 
市役所付近から谷郷(たにごう)谷の出口までが宿場町。馬指役所・庄屋・郡代役所など。佐世保市の中心部のため、宿場の面影は全くない。伊能忠敬は文化9年(1812年)12月4泊し、付近を測量している。吉田松陰は嘉永3年(1850年)9月13日、佐世保宿で休憩し、佐々に向かったが「佐世保にて蓬杖(ほうじょう)を忘れ、半程ばかり還(かえ)る。一医僧(いそう)の誤るところなり、浦に入る」と日記に記している。

宮地嶽神社
息長足比売命(おきながたれひめのみこと)(神功皇后(じんぐうこうごう))は西海道平定の後、神懸りされて「天津神々をお祀りせよ」とご託宣され、里人はこの地を宮の地の山として宮地嶽と呼び、この聖地に神功皇后とゆかりの神々を祀った。
  平戸街道は海食崖の斜面を、無理をして登り(小崎坂という)、横切り、この神域を通って名切谷(中央公園)に下っている。なお、この海食崖の下の平地は、当時は浅海か湿地であって通行不能であった。

 
     

     
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