高岩下の街道
高岩は砂岩の浸食奇岩で、平戸八景の一つ。昔の風情が残っている高岩崖下の街道は、街道文化財として指定に値する所。
山ノ田薬師堂
高さ71cmの薬師如来座像安置。胎内に墨書の銘があり、「大檀那は源松浦隆信(1529〜99)、博多の仏師猪熊冶部丞(弘治4年・1558)の製作」と書いてある。初めは田平村弥勒寺にあったが、明治の初めに廃寺となり、ここに移された。
山ノ田一里塚
日ノ浦より3番目の一里塚。山ノ田橋より約150m下流の山麓、川の堰の先端、くぼ地。松根油採取のため掘り取った。平戸街道の旧道沿いにあった一里塚の松。
山ノ田茶室
井手氏が殿様のため茶室を作った。礎石が残っており、貴重である。春は桜、秋は紅葉の突出とした岩山の肥前耶馬溪を嘆賞(たんしょう)された。戦後は植林で景観の変化が少ない山となった。
山ノ田・江里峠往還
かつての往還道が残り、風情を感じさせる道であったが、農地の区画整理にともない舗装が行われたため、昔の趣きが薄れたのが残念である。
江里(えり)峠駕籠立場
標高約130m。峠の畑の2段目が殿様の休憩所で、2坪ばかり芝生を植えてあった。かつては峠のすぐ下に茶店が3軒あり「草鞋(わらじ)」をたくさんつるしていたという。
大日山城跡
戦国時代初期まで土豪佐々氏の居城。平戸松浦氏に滅ぼされた後は平戸松浦氏の拠点となる。
城跡の入口に大日庵(だいにちあん)(寺)がある。明治7年に市瀬(いちせ)小学校が開校。
古川一里塚
本陣の裏を通っている旧街道は、山地の裾を通って通称三本松の所に4番目の一里塚があった。山の裾の一番出っ張った所。昭和15年204号線拡幅のため旧街道・一里塚・三本松共に消滅した。
古川(ふるかわ)の渡しと佐々川
街道の初期の頃は舟で渡った。佐々皿山への陶石も川口より遡上(そじょう)して運んだ。東岸には茶店・遊廓あり。土地の隆起により、伊能忠敬隊の測量時(1813年)は飛石歩行。その後、陶石運搬は陸上輸送となり、コスト高で閉窯の一因と思われる。
東光寺(とうこうじ)
開基は永享8年(1436)平戸松浦22代豊久(とよひさ)。「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」を奉持して朝鮮の役に参加(26代松浦鎮信((しげのぶ)・3,000の兵を率いる)。朝鮮の役や半坂(はんさか)合戦などの戦死者の霊を祭る。背後の山は中世の佐々(さざ)城。 |