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福地 萬三晃先生(英語)

1964年(昭和39年)〜1970年(昭和45年)  
 
 
     
 

2006年の東京北星会第14回総会にご出席いただきました。

 
         
 
福地萬三晃先生
 

福地先生には、2006年6月4日に東京會舘で開催された第14回東京北星会総会・懇親会に、ご出席いただきました。

その際の福地先生のお話を、音声で掲載しています。

お聴きになりたい方は、こちらをクリックしてください。

 
         
 
 
     
       
 

<佐世保北高との出会いと別れ>

   
 

私は、昭和39年4月1日長崎県立佐世保北高等学校に、新規採用の英語教師として赴任いたしました。国語科の鹿嶋先生、保健体育科の松永先生、河原先生と同期新採。
北高は、素晴らしい高校でした。八幡台に両翼を広げ、「ふくろうの庭」を抱き、閑静な環境にありました。1学年約600名の前途有望な多士済々の生徒諸君、一騎当千の専門性の高い教職員に恵まれていました。残念なことは、谷間にあったので敷地がやや狭いことでした。私は、ここで6年間学ばせてもらい、研修させていただきました。
北高での思い出は数限りなくありますが、別の機会に述べたいと思います。

 
 

私は、昭和45年3月まで北高に勤務しました。1969年度(昭和44年度)にも様々な出来事がありましたが、私個人にとって、2つのことが忘れ得ぬことです。
1つは別添の「海外の旅'69」(2000年に書いたもの)です。
もう1つは、年度末、即ち1970年3月31日午後8時ごろの出来事。その日も朝から夕方まで学校勤務。早岐の借家へ帰宅して翌日からの新年度への準備(多分新三年生の担任だろうと思って)をしていたら、「電報です!」・・・『アス4ガツ1ニチ ゴゼン8ジニ サガケンリツ カシマコウトウガツコウニ コラレタシ』! まさに、びっくり仰天! 3月24日の人事異動内示に私は呼び出されていなかったのに。
でも、よく考えるとあり得ることだったのです。昭和39年4月長崎県に奉職した時、田淵校長先生に「5年間は勉強させていただきますが、私の特殊な境遇のために5年後は是非佐賀県へ転勤させてください」と、お願いしていたのです。ですから、この年度末ぎりぎりに、佐賀県教委との交渉でバーターが成立したのでした。
とにもかくにも、電報を読んでから、てんやわんや! 転居先を、子どもの保育所を、家財道具等の運送を、家内の転勤先を・・・と、どたばた! 北高と転勤先の鹿島高校の校長先生始め先生方も、その夜はどたばた! だったことでしょう。慌ただしい年度末と年度始めでした。
私の特殊な異動で多くの方々に大変ご迷惑をおかけしたことをあらためてお詫びいたします。そして・・・その年の夏、鹿嶋先生と飲んだ時、いろいろな話を聞いて人の想像力のたくましい事を二人で語り合ったものです。

 
       
 

<近況>

   
  佐世保北高校での6年、佐賀県の高校等での32年教職を全うし、2002年3月末をもって定年退職しました。“Life should be an art.”を理想としている私としては、晴耕雨読と旅行の生活へ移行しました。
老養父母が残してくれた田畑の管理・・・田は小作にだして済みますが・・・があります。畑は十数年放置されていたので、笹・竹・茅・セイタカアワダチソウに覆われていました。少しずつ開墾して、現在やっと50アールほど作物が作れるようになり雑草との闘いをしています。動力機械は一切使わず、鍬や鎌などで運動と思って耕作しています。
 
「雨読」は気の向くままに・・・本だけは十数年かけても読み尽くせないほど買い込んでいますので・・・読んだり眺めたりしています。
退職してから始めたことは「学んで時に之を習う」で、この3年間、佐賀市にある西日本文化サークルで、吟詠、俳句、川柳を習っています。(ご要望があれば次回にでも拙い俳句か川柳を・・・)
  旅行は、一人旅か友人との弥次喜多道中。退職してからは自分でも不思議なのですが、海外へは食指が動かず、国内ばかり毎回5〜7日間の旅です。今年は、長崎・雲仙、愛知万博、黒部立山・金沢、京都、俵山温泉(山口県)、琵琶湖湖畔、錦帯橋・宮島。東京へはここ十数年毎年1〜2回旅行していましたが、今年は機会がありませんでした。来年は東京、東北へも行きたいと思っています。  
  社会的役割としては、藤津郡塩田町(2006年1月からは、嬉野市塩田町)の中の北下久間という部落(120世帯ぐらい)の公民館長と八幡神社の世話人をしています。結構忙しい日々です。
明日からは新年の三社詣の募集・集金をしなければなりません。
 
   
(2005年12月23日)
 
     
  福地先生からは、かつて「北高新聞」に掲載された<青春の1ページ>と題するエッセイもお送りいただきました。  
     
   
     
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