実は、「美しき天然」は、佐世保北高が学制改革でその校地と校舎を引き継がせてもらった成徳高等女学校の前身であった佐世保女学校の教材として作られた曲なのです。
作曲者は、佐世保海兵団軍楽隊軍楽長であった田中穂積、作詞者は、滝廉太郎の作曲した「花」 〜春のうららの 隅田川♪〜 の作詞もした武島羽衣です。
村であった佐世保に一挙に市制が敷かれたのは1902年(明治35年)4月1日のことですが、そのわずか12日後に、山北トミ先生らによって海軍将校子女への高等教育を考えて私立佐世保女学校が八幡町の民家に開設されました(その場所は市役所方面から北高正門に向かう通学路の左脇。現在、佐世保福祉会館別館の敷地内に「成徳高等女学校発祥地記念碑」が建てられています)。
田中穂積は、現在の山口県岩国市の出身、1889年に佐世保海兵団の第3代軍楽長に着任。
田中は、佐世保女学校が開設された後は、音楽の嘱託教師を務めるようになり、女学生たちが愛唱するための歌を作ることを考えるようになりました。そして、烏帽子岳や弓張岳から望む九十九島の風景をこよなく愛していた田中は、1900年に発表されていた武島の詩を目にしてこれに九十九島の風景に重ね合わせて、1902年に「美しき天然」を作曲したといわれています。
田中の曲は女学生の間で愛唱されるようになっていきましたが、田中は1904年の大晦日に49歳で病死。その死後に譜面が出版され、「美しき天然」は全国に広がっていきました。 |