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海  外  の  旅 ‘69

 
     
 

福   地   萬 三 晃

 
       
 

「ただいま国境を越えました。これからは韓国領に入ります。機内からの写真撮影は禁止されていますのでご遠慮ください。」という機内放送で、私は生まれて初めて『国境』を意識し身の引き締まる思いがした。


30年前、羽田空港からソウルへ向かうキャスィ航空の飛行機の中でのことだった。

 
       
 

それまで国境とか領海という言葉は知っていても、実感したことはなかった。東南アジアや中南米へ貨物船の船員として航海していた友人の口から、「とにかく、海も力の世界よ。いろんな意味で強い国の船が強い。」、「日本の領海に入ると一安心するし、日本のオカに上がればほっとする。」、「どこの国の人間も似たようなもので、良い人間もいれも悪いヤツもいる。」という言葉がよく出てきた。議論して話が食い違ってくると、友人に、「君も本に頼らずに、実際、日本という島国を出てみたらいい。百聞は一見にしかず。海外へ出てみれば、オレの話がもっとよくわかるだろう。特に、朝と夕方の一般の人の生活を見たらいいよ。」と言われた。これが切っ掛けで、ルックツアー(ソウルーホンコンーマカオータイペイ コース)に単独で参加したのだ。

 
     
  朝鮮半島を北上するにつれて、山の緑が少なくなり南侵の傷跡が散見された。キンポウ空港着陸。あちこちに監視塔があり、遮蔽壕には迷彩色の戦闘機が並び、銃を肩に掛けた兵士の姿が見えた。当時は米ソ冷戦中で、38度線で厳重な警戒が行なわれていた。
数年前に日・韓の国交が正常化されたばかりで、日本人旅行者一人ひとりに対して厳重な入国審査と荷物検査があった。英語で入国目的や滞在期間などを説明した時の緊張感と、”OK. You're welcome. Have a nice trip. ” と言って、パスポートを戻してもらった時の審査官の微笑みは,今でも忘れられない。
 
     
 

昼間はソウル市を中心に団体観光をして回ったが、いたるところ工事、工事で埃っぽかった。第2次経済開発5か年計画実施中であった。高層建造物も少なく、車はバスとトラックが多く乗用車は箱形のダットサンで、日本の昭和30年頃の姿を思い出させてくれた。韓国独特の服を着た老人の姿に悠然とした風格を感じたが若い男の姿はあまり見かけなかった。

私の旅のイズムは、国内でも国外でも、『一人旅』。
暗くなってから屋台で焼酎を飲みながら辛いトッポッキや鉄板焼肉を食べていると、屋台のおばさんも客の50歳以上のおじさんたちも日本語が大変上手で、「日本人ゾロゾロ団体さん。兄ちゃん、一人? 日本人?」と、もの珍しげに話しかけてくれた。若い人(主に女性)は、英語で話が通じた。あたりまえだが、若い男性は兵役中。

ところが、9時ごろになると皆早々に引き上げる。「カーフュー、カーフュー。」 知らぬが仏、夜間外出禁止令のことだった。バーで米軍関係者や技師と飲んで、11時ごろホテルへタクシーで帰ると、玄関に憲兵! パスポートを提示し、これまでどこで何をしていたか質問に答えると、やっと通してくれた。

 
     
 

翌朝早く起きて、一人で東大門市場へ。ニンニクの匂いと庶民の熱気がすごかった。途中の公園では兵士の銃剣術の訓練の姿があった。

国を守り、平和を維持するのは大変なことだと感じた。板門店へはとても行ける雰囲気すらなかった。ホンコンでは中国との国境を遠望できた。台湾も入国時、日本人の雑誌類の持ち込みに対し厳しかった。
国それぞれに事情があり、それぞれ異なった国境の太い実在感を感じた。島国の日本にだけ住んでいると「安全と水はタダ」と思いこみ、隣国・隣人の現実・実情にも鈍感であることを思い知らされた。

 
     
   
     
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