私が北高を卒業したのは昭和25年、たしか第2回の卒業生と言うことだったように覚えている。なにせもう27、8年も前のことだという事実に、正直なところガク然とする。つい昨日のこと・・・・・・とまでは言わないが、せいぜい10年ほど前といった印象で、あの頃のことは胸裡に刻まれているのである。中学、高校時代の友人たちが、現在もまだ私の親友の多くを占め、よく電話で話をしたり、文通したりしているせいで、そんな風に思えるのかもしれない。
つい一昨日も、そんな友人の1人が東京からきて、何のめぐり合わせか2人でテレビ対談をするはめとなり、お互いにやりにくくて、 15分の番組がすんだあとは溜息が出た。覚悟をきめて高校のころそのままの乱暴な言葉で対談したが、あと味はどうもよくない。2人で酒を飲み歩いて、翌日はすっかり2日酔い。友人のほうも同じだったろう。
北高の印象は私の中では佐世保という町の印象と一つになっている。今はめったに訪れる機会もないが、若い者にとって風通しのよい町だったというのが、私の感想である。さして大きな都会でもなく、田舎でもなかった。少なくとも九州によく見られる城下町の息苦しさが、佐世保にはなかった。だからいつものびのびと呼吸していたし、のびのびしすぎて、あまり勉強した覚えもない。
ただ、ちょっと窮屈だったのは、たしか私たちが男女共学のはしりで、世間の眼も、学生同士の意識もその1点に集り、男も女もお互いにぎこちなくて、気持の負担となったことである。今はもう小学校からの共学で、そんなこともないだろうが、私たちの頃には、男女が席を並べるというのは窮屈なだけで、面白くも何ともなかった。お互いにそれまでの野放図もない振舞いを抑制され、むしろ欲求不満が嵩じたものである。
私は高校時代は小説ばかり読んでいて、しかも徹底した夜型だったから、朝は遅刻の連続、すでに授業のはじまった教室にこそこそしのび込んでいた記憶がある。「お前、いくらなんでもひどかぞ」と友人に注意され、深く反省して、それ以来遅刻しそうな日は休んだので、おそらく欠席率は校内でも、1、2位だったろう。
しかし、ずいぶん本が読めた。友人たちと競争で当時ではとうてい理解できるはずもない哲学の本などを読み、内容よりも読んだ冊数をそれとなく誇示し合うような雰囲気があった。現在の受験に追われる高校では、おそらく想像もできないムードだったろう。
私たちの高校時代は男女共学の例をとっても判るように、教育制度のいわば混乱期で、私たちはうまくそれに便乗して、勝手なことができたように思う。適当に遊び、適当に本を読み、適当に勉強しながら、適当な大学に入れる時代だったのである。 教育制度の確立はそれなりに必要なことなのだけれど、制度というのは文字通り、人間を1つの枠の中にしばることでもある。私たちの高校時代は物資不足で、いつも飢えていたけれど、制度以前の自由さを、のびのびと享受していた時代でもあったわけだ。
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