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2006年6月28日〜7月2日、NPO法人アートプラネット主催「男たちの手仕事展 VOL.5」が東京・銀座のギャラリー悠玄で開催された。さほど広くはないスペースに鋳造、陶芸、金属加工、アクセサリー、彫金、茶道具、写真集、似顔絵など11名のアーティストたちの作品が展示され、多数のギャラリーがひしめく銀座にあって、目の肥えた鑑賞者たちの足を長くその場に引き止めるに足りる独創的な展示会となったようだ。山崎さんは本展示会では、彫金と茶道具を出品。高額なモノゆえ至近距離で鑑賞することさえ憚られる気がしたが、作品にこめられたこだわりと美意識がそこはかとなく感じられる作品ばかりだった。 |
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茶碗・茶杓と箱膳 |
彫金作品 |
手作りのチェスの駒 |
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山崎さんの顔はひとつではない。彫金作家であり教室をもち生徒を指導しているかと思えば、パイプやジュエリーを作り、俳句を詠む。その環境にふさわしい家をもとめて、神奈川県津久井郡にある自然の作り出す景観の中に埋もれるように佇んでいる築150年の廃屋を自分で改築し、「水眠亭」と名づけ仕事場兼自宅とした。アトリエにして12年、本格的に住むようになったのは5、6年前、現在は猫3匹と暮らしている。
何でも自分で作る人なのだ。生活するために必要性を感じ、箱膳を作り、俳句をさらに深めるために茶をならい、ならばと思い自分で茶をのむ茶碗を焼き、茶杓を作った。こうやっていつしかできたものが一つ二つと増え、機会があれば展示会へと出展される。つまり、「水眠亭」には、山崎さんの創作作品がぎっしり集められているのだ。 |
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水眠亭の脇を流れる川 |
月見もできる桟敷 |
彫金の工房 |
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自然との共生の中で生まれる日々の創作活動の源である住まいまで、創作品だ。主人の山崎さん同様「水眠亭」は色々な面(=機能)をもつ。ベーシストでもある山崎さんはここで定期的にミニライブを開催し、アトリエは俄かにライブ会場へと変わり、酒好きな人のためにナイトスポットと化す。ここを訪れる人は絶えることはない。22回生のチベットのタンカ絵師、馬場崎研二さんが日本滞在中はここを定宿としているように、友人たちの仮の宿としての機能も果たしている。清流のせせらぎが聞こえる自然の中にひっそりとたっている「水眠亭」の評判は瞬く間に広がり、映画のロケにも使用された。女優の唯野未歩子さんの初監督作「三年身籠る」では知人を通してロケ地として提供した。 |
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ステンドグラスもはめられた窓 |
壁に埋め込まれた丸窓 |
外の風景がくっきり! |
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好きなことを仕事にしてお金を得る。そんな男のロマンを貫いて生きる恵まれた人は少ない。世にいうオヤジ世代の男たちが、家族や住宅ローン返済のために、組織の中で、時に屈辱やマンネリを覚えながら日々汗をかいている悲哀を思うと、まことに羨ましい限りだ。
山崎さんはどうやってここまで辿りついたのだろうか?
明治生まれの山崎さんの父親はずっと発明にいそしみ、広い田舎の家で、財産のほとんどを発明に費やし、それがなくなると50歳にして高校教師(化学科)となったそうだ。使わない部屋が沢山ある家には学校の先生たちが入れ替わり立ち替わり下宿し、常に賑わっていたようだ。発明家と作家、呼び名は違えど、無から何かを生み出す作業は同じだ。 |
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自作の囲炉裏 |
蕎麦うち |
愛用のベース |
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「ここ5、6ほど前から毎年夏に田舎へ帰省し、田舎の友人たちに蕎麦をうって食べさせています。友人たちに少しでも元気を与えられたらいいと思っています」
何でも作ってしまう山崎さんにとって、中でも一番楽しいのは、家作り。創作活動の集大成とも思える贅沢な「水眠亭」だが、山崎さんの手にかかると、まだまだ違った顔をみせてくれそうだ。来年は4月半ばに、彫金や茶道具の個展を開催することが決まっている。きっとまた、プロフィールに何か加わるのだろう。 |
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以上、<フリーライター・桑島まさき>こと<編集委員(31回生)桑島千秋>のレポートでした。 |
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