私は11年前、佐世保北高での15年間勤務の思いを『梟(ふくろう)の目』に託して初めて上梓した。今回も相変わらず雑駁な内容で、内心忸怩たるものがあるが、教育現場との訣別に踏ん切りをつけるため敢えて本誌を出すことにした。
かつて私は、ロシアの文豪アントン・チェーホフの『賭け』を、英語の教材で扱ったことがあった。ある事情から若い1人の弁護士が、独房の中で15年という長い年月を過ごさなければならなくなる。彼は持て余す暇を、一体どうやって潰すだろうかという設定である。ひたすら眠った、酒に浸った、ギターを奏でた、外国語を修得した、哲学書を読んだ、等いろいろ出てきた。
人間の嗜好は、順を追って高尚になるというのが、この作品の1つの要旨であったと記憶している。
私の場合、3年間の島生活の後、8年前に佐世保中央高校夜間部に勤務することになった。その後昼間部に配転になる迄の4年間は、『賭け』の主人公と幾分よく似た状況にあった。詳しく言うと、私は生来早起きで朝4時には目を覚ます。途中、朝食を摂るのに半時間位かかるが、正午までのほぼ8時間は暇であった。とにかく、退屈なのである。時間とエネルギーが余って仕方がなかった。散歩のつもりで毎日のように朝市に出かけると、あり余る食材を買ってきては家人に愚痴られた。酒を飲むには朝日が眩しすぎたし、読書や語学をやるには集中力が欠如したし、書き物をしようにも語彙が貧弱すぎた。
そんな折、『週刊文春』の特別企画「待ってました定年」が目に留まった。定年を迎えたサラリーマンが、退職後どういう人生を送っているかを紹介するものであった。この記事は、かなり長い期間に亘って連載され、所謂「全国区選出」の何人ものサラリーマンが登場した。今でも2人だけは、強烈に脳裡に残っている。1人は定年と同時に妻と離婚し、自分はイタリアの若い女性と懇ろ(ねんごろ)になって、そこで彼女と暮らしている。2人目は、中学校の校長で退職した教師が、暇をもて余したあげく漢字検定試験に挑戦してみようと決意する。3年後、彼は準1級と1級を同時に受験し、見事に合格するというものである。前者のような恋路に、自分も愁波を送ってみたい気も少しはあったし、今でもある。後者には、そのまま素直に共感を覚え、どっぷり嵌り込んでしまう破目になった。
漢字の世界は、知のワンダーランドであった。未知の語彙を辞書で調べ、それを単語カードや厚いノートに書いて覚えるので、半ば「写経」や「ペン習字」と似た要素をもっている。それまで持て余していた時間が、幾らあっても足りなくなった。今、私の手元にある教材を見回してみると、辞書や問題集などの書籍が約50冊、単語カードが30束、厚手のノートが8冊ある。年3回実施される試験に殆ど毎回挑み、2年を経て準1級にパスし、その2年後に最高峰の1級に到達することができた。私の人生で、52歳から56歳までの4年間ほど、一心不乱に勉強したことはない。
「知は力なり」と言うが、漢字のお陰で私は思わぬ活力を得たと思っている。1級取得後は、検定協会が設立している「日本語教育研究所」の研究員となり、毎年小論文の提出を続けている。 また、惚け(ぼけ)予防効果への微かな期待を込めて、年1回は1級を受験するようにして、合格を確実なものにしている。
従って、本誌の最初は研究所へ提出した課題論文に始まり、また最後には、生涯学習の講師として漢字講座を担当すると想定した時、どういう内容の教材が可能かを探ってみた。この冊子が発刊される頃には、万朶(ばんだ)の桜が繚乱と開いていることだろう。私淑する歌の師匠は、乱舞する桜花を次のように詠んでいる。
散りしきるさくら花びら 目に止めし一つが
早く土に落付く
その時の私が、そういう心境であって欲しいと切に願っている。
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