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どがんしよらすと?

     
  <どがんしよらすと?>シリーズ15  
 

最近あの人みていないけど元気? ちょっと変わった活動をし、イキイキ生涯現役でがんばっている会員を不定期に紹介するこのコーナー。第15回目に登場していただくのは、生涯現役医師の菅村洋治さん(12回生)です。

 
 
(取材・文/桑島まさき)
 
 
 
  菅沼さんの読書姿

【プロフィール】

菅村洋治(すがむら ようじ)

昭和16年生まれ(67歳)/12回生

・清水中→北高→新潟大学医学部(1967年卒、最後のインターン生)→長崎大学第1外科入局。‘75年から佐世保中央病院勤務。2007年定年退職。

・家族構成:妻、子供3人(男2、女1)。(義)兄弟、甥、姪など身内に北高OBが14人。

 
 
読書中の菅村さん
   
 
   
 

【趣味、現在の関心事】

1)登山(同期の北高山岳部OB・OGと家族も交えて、年数回の登山合宿を行っている。6年前には還暦を記念してヒマラヤへ行った。年齢が上がるほどに山の高さが低くなっているのが気になる。

2)テニス(週末は中学校時代のテニス仲間や病院仲間と)

3)バイオリン(ボケ防止のため、60の手習いではじめる。自宅でバイオリンを弾き始めると、妻は台所に、今は亡き愛犬は隣に避難している)

 

体力、気力が続く限り、海外医療援助活動に参加

佐世保在住の医師、菅村洋治さんは現在67歳。専門は、胸部外科、救急医療。佐世保中央病院に非常勤外科医として週2日勤務し、午前中は外来診察、午後は手術の手伝いや禁煙外来を担当している。

「国境なき医師団」のメンバーとして後進国の医療援助に参加する菅村さんにお話を聞いた。

−「国境なき医師団」のメンバーとして海外へよく行かれるそうですが…。具体的にいつ頃から活動されているのでしょうか?活動状況やきっかけを教えてください。

−35年前、日本政府の海外技術援助の一環として、ケニアのリフトバレー州立ナクール病院で1年間外科指導医として勤務しました。

23年前には日本の国際緊急医療チームのメンバーとして、エチオピアの飢餓難民キャンプで働き、開発途上国の困窮の一端を見てきました。その頃からいつかまた彼らのために役立ちたいという思いがありました。

3年前にケニア生まれの長男が結婚し、「新婚旅行はケニアにする。自分の生まれたところをこの目で見たいので、一緒に行こう!」と私達夫婦を招待してくれました。もう一度海外で医療活動を、と最終的に決意したのは、この時でした。親子4人で訪れた病院も、陽気なケニア人の働く様も、35年前のその日のままである現実を目にしたからです。

−ケニアが菅村さんを呼び寄せたようですね(笑)。

−どうでしょうか(笑)。

国境なき医師団に参加したしもう一つの理由は、「定年後の最大の敵は女房」と言われるように、家の中で一日中ゴロゴロしていると、これはもう家庭内紛争が避けられません。家庭内平和維持のためにも“行こう!”と決めました。

−世間一般の事例と同じですね(笑)。

定年を好機到来と考え……

−2007年1月に65歳の定年を迎え、病院は非常勤勤務になり、時間的に余裕が出てきたために、若いときからの夢、国際医療協力実現への好機到来と考え“国境なき医師団”(MSF=MEDECINS SANS FRONTIERES)に応募しました。

−「国境なき医師団」HPでの菅村さんの記事、拝見させていただきました。多くの国々にいかれているのですね。赴任される時は単身ですか?

−これまでナイジェリア、イラン、コンゴ民主共和国、スリランカでのミッションに参加しました。外科医が派遣される国はほとんどが紛争地なので、セキュリティーとスタッフの健康管理がもっとも重要です。そのために単身赴任が原則です。

 
       
 

仕事内容は戦傷や交通事故などの一般外科、整形外科はもちろんですが、泌尿器科や産婦人科などにもある程度対応できる技量が必要です。ちなみに昨年、コンゴに派遣された時には、2週間で23例の帝王切開を一人で行いました。

−激務ですね。日本における産婦人科医不足は深刻なようですが、海外は「不足」どころか「無」なのでしょうね。次の赴任国は決まっていらっしゃいますか?

−まだ、決まっていません。

白衣を着て指導中  
   

コンゴ人スタッフに手術用器械の使用法を指導

 
     
 

− 医療崩壊が叫ばれて久しいですが、医師としての御意見を簡単にお願いします。佐世保での医療状況は? 

−読者の皆さんの中には今、ご自身があるいはご家族が病院にかかっておられる方もおられると思います。医療費も高く、遠くまで通院するのは大変だと感じておられるのではないでしょうか。しかし、日本では多少の不便はあっても、誰でも、何処に住んでいても、最新の治療を受けられます。

 
  ナイジェリアの医師に指導

 

私はこれまで4回、アフリカの貧しい国で医者として働いた経験がありますが、アフリカには4人に一人が、5歳まで生きられない国があります。700キロの道を歩かねば、医療施設にたどり着けない地域もあります。そして今なお、治療すれば治るはずの感染症で、毎年200万人が亡くなっています。

理想的とは言えないが、世界に誇る日本の医療システムを改悪しかねない、医療費削減を目的とした現在の医療政策には反対です。

 

 
 

胸を鉄砲で撃たれた患者の胸腔ドレナージ術をナイジェリアの医師に指導

   
 

−貧しい国ほど人口が多く、医療施設がなく、多くの生命が消えていく。本当に悲しい現実ですね。ところで、菅村さんは同窓会にはよく参加されますか? 北星会総会にはいかがでしょうか?

−年をとるほどに、気のおけない同窓生との交わりは楽しく貴重です。年一度の北星会総会には出来るだけ参加するようにしています。

−北高ファミリーですから、皆で一緒に参加できていいですね?

 
       
 

−まあ、そうですね。

−北高時代の思い出、心に残る出来事などありましたら教えてください。

−授業をさぼって、山岳部の仲間と将冠岳の山火事の消火に行ったこと。禁じられていた九重の冬山合宿に、全参加者が出発前夜に、退部届けを出して行ったこと。

このスペースでは語りきれない、語れない、語りたくない思い出が一杯です。

ヒマラヤを背景に集合写真

 
 
北高山岳部OB会ヒマラヤトレッキング
 
     
 

定年後の元気で有能な日本人の再活躍に期待

−シニアパワーには瞠目すべきものがあります。菅村さんの今後の人生プランは? 暗いニュースばかりで将来に希望がもてない若い世代に、メッセージをお願いします。

−これまでの国際医療活動を終えてあらためて気づいたことがいくつかあります。とりわけ日本という国が世界の中でも例外的な、類のない平和国家であるということです。ただこれからは「自分の国だけが良ければ」という考えでは世界から取り残されそうな気がします。

では自分に何が出来るのか? ナイジェリアで一緒に働いた外国人ボランティア医師の中で4人は60歳代でした。ルクセンブルグからやってきた整形外科医は64才。麻酔医は62才。シアトルの病院に帰れば開心術もこなす現役の医師です。メディカルコーディネーターは60才。ニュージーランドの整形外科医も60才、そして私が最年長で66才でした。

 
       
  ナイジェリアのスタッフと集合写真

彼等は地理的条件、語学力、食事など日本人の私と比べ、勿論ハンディーも少ないと思いますが、実に気楽にボランティア活動に参加しています。

彼ら同様、私も今回の海外医療協力をとおして、国内でのそれとはまた違った仕事の達成感を実感しました。長寿大国日本の中高年が国際貢献できる場はたくさんあります。開発途上国の人々も日本に多いに期待しています。特に、定年後の元気で有能な日本人の再活躍を期待したいと思います。

 
 
ナイジェリアのスタッフと
   
     
 

そのためには、出来れば若いうちから目標をもって、心技体(+語学力)そして異文化理解のため感性を磨いておくことが大切であると感じています。

−設備の整っていない国々での勤務は大変だと思いますが、多くの生命を救ってあげてください。又、日本も医師不足です、よろしくお願いします。

−老人ボケと戦いつつ、体力・気力が続く限り、微力ながら海外医療援助活動に参加したいと思っています。

オフの時は、山に登り、テニスをし、バイオリンをひき、ミッションとなるとすぐに単身、海外へ飛んでゆく。90歳をこえる現役先輩医師がいるように、菅村さんも気力体力が続くかぎり、医師であり続ける。医師になるべくしてなった人なのだろう!

以上、<フリーライター・桑島まさき>こと<編集委員(31回生)桑島千秋>のレポートでした。

【参考】

 
     
 

<推薦の言葉>

菅村君とは中学以来のテニス仲間で、30代から60代の現在までずっと交際が続いている親友です。テニスの他、最近ではメタボ対策のために、料理学校に一緒に通っています。

菅村君が佐世保にいない時は、ボランティア活動のため海外へ行っています。

加藤前会長と  
   
加藤前会長と一緒に
 
     
 

長い東京での生活の後、佐世保に戻った私にとって非常に力強い存在なので大変助かっています。昨年、心筋梗塞で倒れた時も世話になりました。感謝の気持ちで一杯です。

(加藤陽三/前東京北星会会長/12回生)

 
 
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