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どがんしよらすと?
     
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−最近あの人みていないけど元気?どがんしよらすとやろか?お元気で活躍されていることは知っているけどなかなか同窓会で会えない、ちょっと変わった仕事や活動をされている会員を不定期に紹介するこのコーナー。第17回目に登場いただくのは、英国在住のギター職人、奥村健治さん(31回生)です。

(取材・文/桑島まさき)



同じ空を見ていた、同窓生

- 家庭の都合で転校や退学した生徒たちは、ある時期「同級生」だったが、残念ながら一緒に卒業はできなかった。しかし、「同窓生」である。
母校の同窓会「北星会」の関東地区同窓会支部である東京北星会の会則には、「本会は、長崎県立佐世保北高等学校卒業生で東京都およびその付近に存在する者により、これを組織する。」に続き、「中途退学者または他校に転校した者も、本人の希望により、幹事会の承認を得て会員となることができる。」とある。
つまり、母校在籍が短かろうが長かろうが、同窓生に違いなく、本人に同窓会参画の意思があればOKなのだ!
高校2年の途中で母校を自主退学した奥村健治さんは、数年前から帰国の度に同窓会に出席し懐かしい同窓の友と一緒に過ごす機会を持っている。現在は英国を拠点にギター職人として多くのミュージシャンのギターを製作している奥村さんにお話を聞いた。

【プロフィール】
  • 奥村健治(おくむら けんじ)さん
  • 昭和35年生まれ(51歳)/31回生
  • 【経歴】
  • 保立小学校→清水中学→佐世保北高
  • 英語の塾講師等を経て、1988年、アメリカ・アリゾナ州フェニックス市にあるギター製作学校、Roberto-Venn School of Luthiery に入学。 サンフランシスコ周辺でギター工房を構えて後、1991年暮れに帰国。1992年よりハウステンボスで働きながらギターリペアーに従事。 1997年より、ロンドンにある全日空ロンドン支店で働きながらギター製作に従事。2011年、ギター製作家として独立。

■海を渡ったケニー

−どのような経緯でギター職人になられたのか教えていただけますか? 小さい頃から決めていらっしゃったのでしょうか?

−ギター職人になろうと決めたのは21才の時です。まだこの頃は、自分がどのような仕事に就きたいか分りませんでした。基地の街に育ち、小さい頃からアメリカ人を身近に感じていたせいか、英語にとても興味がありました。将来は英語を使った仕事をしたいなと思っていたのですが、英語を使って何の仕事をしたいかは分らないままでした。ただ漠然と英語が好きというだけだったのです。
そして21才のある日、友人の一人が、あるギター雑誌を僕のところに持って来ました。アメリカのアリゾナ州にあるギター製作学校の特集が載っているというのです。ページ数は確か5、6ページはあったと思います。学校の内容が詳しく紹介されており、写真も多数掲載されていました。この記事を読んだ時、「これだ!」と思いました。いろんな条件を満たしていたのです。映画に出てくるような、自分の憧れていたアメリカの西部に学校があること、英語が好きということ、ギターを弾くのが大好きということ、そして何よりも手を使ってモノを作るのが大好きということ――自分がずっと探し求めていたものが見つかりすごく感動したことを覚えています。

−お仕事柄、英国を拠点にした方が仕事上都合いいのでしょうか? 日本では不可能?

−別に英国でなければならないということはありません。日本でも90年代から個人製作家が増え始め、東京、大阪などでは毎年、個人製作家の展示会が開催されています。アコースティックギターの需要は多く、日本を拠点にできる仕事です。
私の場合は、アメリカ・アリゾナ州にあるギター製作学校を卒業し、サンフランシスコ周辺に引っ越して工房を構えました。カスタムの注文も入り始めたのですが、どうしても永住権が取れず、アメリカでのギター製作家としての道を諦めて日本に帰国することにしたのです。4年間の滞在でした。
日本で製作を始めるつもりでいたのですが"、帰国して間もなく、あるイギリス人女性と知り合ったのです。2人で将来どうするかという話になり、ロンドン移住を決めたわけです。ロンドンは音楽が盛んだし、アメリカの音楽もポピュラーなので、私の作るギターでもやっていけるのではと思いました。そしてロンドンに移住したわけです。
イギリス人の彼女とは移住後に別れてしまいました。しかし、彼女との出会いがなかったら、英国に住むということはなかったでしょう。出会いとは不思議なものです。ロンドンに移住してから約15年になります。

−英国では、どこかに作業場を借りていらっしゃるのですか?

−ロンドンのテムズ川の南側にある小さな作業場を借りています。ロンドンは物価が高く、作業場も家賃が高いのですが、今の作業場は比較的手頃な家賃でラッキーだと思います。すごく狭いのですが、機械を数台置き、作業台を備え付け、一人で作業するにはまあまあの広さで、塗装以外は全てここで出来ます。塗装ブースが作業場に作れないのが悩みの種です。
塗装はずっと外で行っていたのですが、最近、日系の自動車修理工場の塗装ブースを借りることになり、これで塗装の問題は解決しました。ただ塗装中のギターをそこに置いておくことができないので、毎回の運搬が大変です。

−大変根気のいる仕事だと思うのですが、仕事上で気をつけている事はどんな点でしょうか? 又、どんな資質が必要なのでしょうか?

−仕事上で一番気をつけているのは、機械の使用です。毎回使う度に怪我をしないように気をつけています。機械を甘く見るととんでもないことになります。機械は容赦してくれません。 実は、アメリカのギター製作学校のインストラクターが、機械の中に左手を持って行かれ、指を数本切断するのを見てしまいました。あの悲惨な光景は今でも脳裏に焼き付いています。その日は指を動かすことができませんでした。それ以来、簡単な機械でも注意しています。機械は便利なものですが、使い方を誤ると非情なものに変貌します。
ギター製作に必要な資質は、根気強さでしょうか。手間の掛かる細かい作業も多いので、根気強さが必要となります。あと仕事に関係なく、作るという行為を楽しめるということが必要だと思います。やはり好きでないとこの仕事はできないと思います。

−「ケニー」という愛称をお持ちだと聞いているのですが……。差し支えなければ教えてください。

−今は「ケニ−」と呼ぶ人はあまりいませんが、以前は呼ばれていた時期もあります。1979年、ちょうど19才の頃、東京のスケートボード会社でアルバイトをしたことがあります。70年代の後半はスケートボードがブームで、私もスケートボードに乗っていました。しかし、1979年はブームが下火になっており、それに代わってローラースケートの人気が出始めていました。そのスケートボード会社でもローラースケートに力を入れるようになりました。
東京の晴海でスポーツ用品の展示会が行われることになり、私のいた会社も会場にブースを構え、人気の出始めていたローラースケートを展示しました。そこへ、社長命令が下ったのです。会社に出入りしていたプロのスケートボーダーと私に「ローラースケートを履いて会場でデモンストレーションをやれ」というのです。
スケートボードを滑れたせいか、ローラースケートもどうにか滑ることができました。最初はためらったのですが、社長は「ただ適当にブースの周辺を滑っていればいいから」と言うのです。その上、「ハワイから来た日系3世の「ケニ−奥村」ということにしよう」と言うのです。
髪の毛が長く、肌が焼けており、言葉も上手く標準語を話せなかったので、ちょうどよかったのでしょう。会場のブース周辺を適当に滑った後、なんとスポーツ用品業界の新聞のインタビューを受けてしまったのです。日本語をわざとたどたどしく話すのは大変でした。
業界新聞に短いインタビューが写真と名前入りで掲載され、それ以来、周りから「ケニ−」と呼ばれるようになったのです。

■ITが繋いだ同窓生との再会

−31回生は2009年夏、佐世保市で卒業後30周年記念同窓会を開催しましたね。大変、盛り上がったと聞いています。帰国されて参加されたそうですが、いかがでしたか?

坂井先生と全員集合! −すごく楽しかったです。あまりに楽しかったので飲み過ぎてしまいました。5次会まで参加し、最後の方はちょっと記憶がなくなってしまいました(笑)。
最初に30周年記念同窓会の話を聞いたのは、2008年の12月でした。私はそれまで北高の同窓生とは殆ど付き合いがありませんでした。というのは、私はアメリカの学校に転校するということで、北高を2年生の途中で退学したのです。しかし、アメリカのビザ関係でトラブルが発生し、帰国を余儀なくされました。北高に復学の話もあったのですが、結局は復学しませんでした。この時から北高の同窓生との繋がりが途絶えてしまいました。
そして30年ちょっと経った2008年の12月、北高で仲良かった友人の一人が、インターネットを通じて私の連絡場所を捜し出し、連絡して来たのです。その友人は、ソーシャルネットワークのMyspaceで私を捜し出し、わざわざ自分も会員登録をしてメッセージを送って来たのでした。
メッセージの内容は、2009年8月に31回生の卒業30周年記念同窓会が開催されるが、参加しないかということでした。卒業生でない私にとって、同窓会は無縁のものだとずっと思っていたので、最初は寝耳に水といった感じでした。しかし、内容をよく読んでみると、31回生の同窓生の捉え方は、「卒業」ではなく、「入学」となっているのです。北高入学というスタートラインに立った仲間はみんな同窓生だと。
この言葉に感銘を受け、31回生に会いたいという衝動に駆られました。8月のお盆に帰国するのは結構厳しいとは思ったのですが、多くの同窓生と同時に会えるこの機会を逃してはいけないと思い、おもいきって参加しました。30年ぶりに見る顔はどれも懐かしく、髪の毛や体形が変わっている人達もいましたが(笑)、北高時代の記憶が蘇り感無量でした。

−北高時代の思い出、心に残る出来事などありましたら教えてください。当時、将来英国に住むと思っていらしたでしょうか?

30周年記念同窓会 2次会 −私の北高の思い出と言えば、なんか先生に怒られてばかりいたような感じがします(笑)。髪も長めでしたので、先生の前では耳を被っている髪を前後に分けて耳が見えるようにしたりしていました。
中学校と違って北高は土足で、ある程度靴が自由でしたので、革靴などを履いて、ちょっと大人になったような気分になったことを覚えています。
当時は将来英国に住むとは夢にも思っていませんでした。私はずっと子供の頃からアメリカに憧れていましたので、絶対にアメリカに行きたいと思っていました。やはり基地の近くで育ったという影響も大きいと思います。それと音楽の影響も大きいですね。
英国に憧れたことはあります。多分小学6年生ぐらいだったと思うのですが、「小さな恋のメロディ」というロンドンを舞台にした映画が大ヒットし、その影響でほんの僅かの間ですが、ロンドンに行ってみたいと思いました。ロンドンというよりも、その映画の主人公の少女に会いたかったのでしょうね。そのロンドンに今住んでいるのですから不思議なものです。

−その後、同級生とはどんな方法で繋がっていますか?IT時代ですが、英国と日本との距離は感じますか?(SNSとかメールとか)

−まず31回生にはインターネットの掲示板があるので、毎日閲覧していますし、自分でも何か言いたいことがあれば投稿しております。31回生関連のことは殆どこの掲示板に掲載されますので、ロンドンに居ても同窓生の動向が分かり、とても便利です。
あとはSNSのFacebook で繋がっている同窓生もいますし、直接Eメールのやり取りをしている同窓生も数名います。
私はギター製作のブログをやっているので、それを見ている同窓生もいるようです。今までの30年のブランクが嘘のように多くの友人と繋がっていますね。海外に住む私にとって、現在のIT時代は本当にありがたいです。日本とイギリスで同時にメッセージのやり取りをすることもあり、日本が本当に近くに感じるようになりました。

−一年に一回は帰国されているのですか?

−その時によって違いますね。一番長く帰国しなかったのは4年半です。2年に1回の時もあるし、1年に1回の時もあります。同窓会の年は母が病気したこともあったので、1年に2回帰りました。理想としては、最低1年に1回、欲を言えば、1年に2回は帰りたいですね。
やはり自分は日本人なので、日本への思い入れは強いです。特に海外にいると更に強くなると思います。1年に2回帰省するのは大変ですが、自分の頑張り次第では不可能ではないので、頑張って実現させたいですね。今はインターネットの普及により日本がずっと近く感じるようになりましたが、食べ物は運んでくれませんので(笑)、帰国して日本食を思いっきり食べたいです。

■生涯現役

−今後のビジョンを教えていただけますでしょうか?十年後の自分はどうしていると思いますか?

−10年後どうしているかはっきりと分りませんが、おそらくロンドンで今と同じようにギターを作っているのではないでしょうか。まだ一生ロンドンに住むと決めているわけではありませんが、ギター製作という仕事は、作業場というベースを持たねばならず、機械などの重くて大きいものもありますので、なかなか移動しにくいものなのです。
ノートパソコンを持ってどこででも仕事ができるというわけにはいきませんから、ロンドンをベースにギターを作っているでしょう。日本とイギリスを行き来する仕事ができれば最高ですが、ギター製作の場合はそういうわけにはいかないので、ギターのビジネスがうまくいって、日本に頻繁に帰れたらいいですね。前の質問でも答えましたが、理想としては年2回です。3回だったらもっといいかも(笑)。

−自営業なので定年はないと思うのですが……。ずっとギター製作に関わっていく?

−もちろんずっとギター製作に携わっていくつもりです。定年の年齢を過ぎても製作を続けますが、体が資本なので、最近健康には気を使っています。
 別にこれといって特別のことをしているわけではないですが、加齢と共に体も硬くなってくるので、最近ではよくストレッチ運動をしています。おかげで最近では体が柔軟になってきました。ヨボヨボになってしまうとギターが作れませんからね。こらからはもっと体の管理をしっかりして死ぬまで現役のつもりで頑張ります。

ロンドンオリンピックが開催されます。現地で応援する人がいるかもしれませんので、ロンドンの見所、お気に入りスポットを幾つか教えていただけますでしょうか?

−ロンドン、と聞くと暗いイメージをされるかもしれませんが、実際に住んでみるとそういうことはありません。もちろん、冬は早く暗くなって天気の悪い日が多いですが、夏は日照時間が長く、6月の夏至の頃は、夜10時頃まで明るいのです。夏は雨が少なく、天気の日が多いので、遅い時間まで外で楽しむことができます。
ロンドンの良さは、なんと言っても緑の多さでしょう。街路樹が多いだけでなく、公園も多いので夏はどこでも緑だらけといった感じがします。それにロンドンは巨大な公園が多いです。ハイドパークを始め、中に入ってしまうとロンドンではなく、田園地方に来てしまったのかなと錯覚するぐらいです。夏は公園の芝生で寝そべっている人も多く、ゆったりとした時間が持てます。
ロンドンには美術館、博物館が多く、その殆どが無料というのが魅力的です。特に大英博物館は世界中からの美術品等が数多く展示され、おそらく一日では全部見ることはできないでしょう。
私がロンドンで特に気に入っている場所はサウスバンクです。ここはテムズ川沿いの南側で、北側にはビッグベンの時計台があります。サウスバンクにはコンサートホールや美術館などがあり、有名な現代のロンドンのシンボル、ロンドン・アイ(観覧車)もここにあります。レストランやカフェなどもあり、観光客も多く、テムズ川沿いを歩くのもなかなかいいものです。私はここでよくお茶をしたりします。
街の中心のシャフツベリー・アベニューにはミュージカルや芝居の劇場が数多くあるので、これを観てみるのもお薦めだと思います。ロンドンはコスモポリタンな街なので、歩いているだけでも楽しいですよ。あと2階建てバスの2階に乗るのはお薦めです。
夏のロンドンは日本ほど蒸し暑くなく、とても過ごしやすいです。是非みなさんお越しになって下さい。

−長い間ありがとうございました。これからもいい仕事を沢山なさってください!

奥村さんは今後、「ロンドン便り」を当HPで発信してくれる事になっています。どうかお楽しみに!

★奥村健治さんのブログ http://okumuraguitars.blog13.fc2.com

以上、<フリーライター・桑島まさき>こと<編集委員(31回生)桑島千秋>のレポートでした。         

(2012年3月中旬掲載)

        
 
   
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