久子の場合、妊娠に気づかずに通院した病院でレントゲンを撮ったため胎児が被爆した可能性が高く、優生保護法によって堕胎が正当化される。法的には合法であり、産む側の意思によって堕胎か出産かの選択肢があった訳だが、それでも一方的に子供の生きる権利を奪ってしまった事に対する思いが彼女を苦しめることになる。
言うまでもなく出産は、生まれようとする子供と送りだそうとする母親の共同作業だ。それなのに、母親は胎内にいる子供の内なる声に気づかず、被爆までさせてしまったという罪の意識だ。
「障害者として生まれる可能性があるから」という理由はいかにも優性思想を肯定しているようで素直に頷けないが、子供を育てる側の苦労を思えば一概に侮れない厳しい現実であることは確かだ。
身体的・精神的苦痛を乗り越えた後、家族に参入できなかった第3子の死に折り合いをつけるまでが、奇をてらわず素直な文章で紡がれていく。多くの女性たちの共感を得るに違いない女性の真摯な記録だ。 |