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どがんしよらすと? |
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「遥かなるチベット クーラカンリ」より |
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(図及び写真は、クリックすることで、拡大できます。) |
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安部鉄雄さん(28回生)が東海大学登山隊副隊長として活躍されたようすを、「遥かなるチベット クーラカンリ 2001年中央峰(7,418m)、・東峰(7,381m)初登頂の記録 東海大学・チベット大学クーラカンリ友好学術登山隊」(2002年3月、東海大学ヒマラヤ遠征委員会発行)より、ご紹介します。 |
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記録集の表紙 |
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高所湖から見たクーラカンリ |
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氷河湖から見た主峰・中央峰 |
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C1からのクーラカンリ |
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安部さんの登山歴をみると、85年・アフリカ(キリマンジェロ、ケニア・ダイアモンドクロアール)、アンデス(エルプラタ)、86年・アンデス(アコンカグア南壁)、89年・アラスカ(マッキンリー)、95年・ヨーロッパアルプス(グランドジョラス北壁、ドリュ西壁)、96年・ネパールヒマラヤ(アイランドピーク)、97年・ネパールヒマラヤ(メラピーク)、00年中国チベット(クーラカンリ偵察、チャンタン峰)と、なっています。 |
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ABCへの荷上げ(1) |
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ABCへの荷上げ(2) |
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ABC(標高5,400m) |
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学術調査の対象とされたプマユムツォ湖(標高5,070m) |
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渡り鳥の飛来 |
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5,370mのモンダ・ラ峠から見たクーラカンリ |
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安部さんは、登山活動が終わった後、次のように述べています。
「登山とは麻薬の様なもの、極度の緊張の後に残る疲労感や、軽い脳や手足の痺れは心地よいもので、陶酔した心も気持ちよいものである。麻薬は架空の世界に遊ぶものだが、登山は実在の世界がそこにある。その量を間違えば、どちらもこの世に帰って来れなくなる恐れがある。刺激を求めるばかりになかなか止められないのが、山屋と呼ばれる人間の『性』である。」
「(安部さんは、この登山で、真っ先に登頂すべく準備して天候の回復を待っていたにもかかわらず、アタック開始直前に体調を崩し、登頂を断念せざるを得ませんでした・・・) 結果的に私だけがピークを踏めなかった。それでも私は、十分に登山が楽しめ満足であった。負け惜しみと取られようが、今回はピークにはこだわらなかった。それよりも多くの隊員を立たせること、無事に終わらせることが、私が自分に課した課題であった。それが達成できたこと、全隊員に海外登山の醍醐味を知ってもらったこと、自分達の計画や活動がこの世界で通用するという自信、それを持ってもらったことの方が私には重要で意義あることだった。」
「登頂を続ける隊員達の歓喜の声が無線で届き、無事にC1のキャンプに下山してきた時は、ただただ私も嬉しくて涙も鼻水も流して喜んだ。」
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C1(標高5,900m) |
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C1から夜明けのカルジャン (標高7,221m).を望む
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C2(標高6,370m) |
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アイスフォールの登攀(1) |
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C2からC3へ |
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アイスフォールの登攀(2) |
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他方、行動をともにした仲間は、安部さんについて、次のように評しています。 「若くして世界各地を放浪、アフリカ、アンデス、アラスカ、アルプスの山々を登る。その楽天的かつ大雑把な性格は、登攀リーダーとしてだけでなくテント生活で生かされた。山への情熱を熱弁する彼の姿は、酒の勢いでかなりいい加減であった。隊員で唯一登頂できなかったが、彼なくして成功はありえなかった。何故か登頂証明書を持っている」 |
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中央峰へのアタック |
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中央峰から主峰を望む |
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日本スポーツ大賞に輝く |
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この学術登山は、その後、2001年の第51回スポーツ大賞」(読売新聞社制定)に選ばれました。
安部さんには、今後はぜひ、北星会の場でもエネルギッシュな活動をしていただきたいと思います。 |
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(文責・宮田 学) |
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