しかし、「天正遣欧使節の快挙は、江戸幕府の統一的な国家権力のもとで悲劇的な結末で幕を閉じ、歴史のなかから抹殺された。」 苦節を重ね、8年半もの長旅を終えて長崎に帰った4人の少年を待ち受けていたのは、バテレン追放令を発布していた豊臣秀吉の世であった。
大石さんは、続いて、千々石ミゲルのドラマチックな生涯を、史書に基づいて紹介する。江戸幕府が確立していくとともに、ミゲルらを取り巻く状況は一層厳しくなっていく。ミゲルは、イエズス会に入ったものの約10年後には脱会して還俗し、名を清左衛門と改めて妻をめとり4人の子を得た。他方で、ミゲルは大村藩の家臣となったが、藩からは冷遇されたという。
そして、2003年12月に大石さんが初めて千々石ミゲル(夫妻)の墓石と思われる石塔「伊木力墓石」に接した経過が述べられる。さらに、この本の最大のテーマである、著者がこれこそがミゲル(夫妻)の墓石であると判断するに至った根拠が述べられる。視点を変えながら、詳細に検討を加える真摯な態度には、好感を覚える方が多いであろう。
歴史や郷土に関心をお持ちの方は、是非、一読していただきたい。 |