戦中派の楠本さんは、芋や団子汁ばかりの苦しい生活の中でも“本の虫”とよばれる程、本を貪るように読んだ。中学時代は野球少年となり、平戸高校から母校の北高に2年生の時に越境入学し、江迎から学校まで最初の頃はトレーラーバスで片道1時間半ほどかけて通った。その後、受験勉強に精を出すために大野に下宿し猛勉強に励んだ。無理が重なり、当時絶望視された肺浸潤にかかり休学せざるを得なかったが、アメリカから輸入されたばかりの特効薬のおかげで幸いにも完治し無事復学することができた。
九大に進み、卒業後は地元の運輸会社に就職したものの、中央志向絶ちがたく、27歳の時にボストンバッグ一つもって上京した(ページ数に制限があるのでこの辺の事情は楠本さんのHPをお読みいただくことをお勧めします)。幾つかの会社に勤務した後、大手文具事務用品メーカーに管理職として勤務するようになり、定年までの28年間在籍した。
現役時代の仕事に関してお話をうかがうと、当時まだ日本にTQC(全社的品質管理)が浸透していなかった時代、その経営方針をいち早くとりいれた会社の推進業務を担当し、品質管理のノーベル賞とよばれる「デミング賞」を受賞したこと、と楠本さんは自信溢れる表情で答えた。
現在では、TQCは当然のように多くの企業に定着しているが、楠本さんの時代には、日本が高品質の製品を作り、世界に対して輸出するために各企業が競ってTQCを導入し大きな成果を上げ、その結果、QC(品質管理)の先進国であったアメリカでさえ日本のTQCを懸命に学んだ。言うまでもなく、日本はこうして世界に誇る高品質製品の輸出国となって、高度経済成長の原動力となった。
定年退職後も楠本さんは縁あってこれまでの品質管理のノウハウをいかし、(財)日本科学技術連盟の嘱託として「品質管理誌」の企画編集やISO9000に関する仕事を務めたりした。
このようなTQC関係の仕事を通じて、非常に多くの他企業の方々との交流があり、また多くの大学のQCの先生方の指導に接することになり、その後、長い間にわたり、それらの方々との公的・私的にわたる有益なお付き合いをさせて頂く事が出来たことが、何よりも人生の宝である、ということである。
長年、会社とTQCのために「貢献」した後も、楠本さんの貢献は続く。社会に貢献するために、前述の嘱託の仕事と平行して始めた身体・知的・精神障害者の自立及び社会復帰を支援することを目的に設立されたNPO法人「自立サポートネット流山」を、発起人の一人として立ち上げ、現在は理事として活動している。
実は、楠本さんには精神障害を有する息子さんがいる。
「次男が思春期に突然発症した時はショックをうけました。今でも同居しておりますがそれなりにやっています。精神障害者を持つ家族の方々には、彼らの存在を隠す人が多いようですが、それでは福祉の仕事はできません。私の人生にオフレコなど一切ありません」
毅然として答える楠本さん。TQCの仕事を日本経済界に浸透させた誇り高い企業戦士の一人だった楠本さんにとって、息子や同様の精神障害者と、その家族のために関わるべくして関わった仕事だといえるだろう。仕事への熱意は生半可ではない。楠本さんのブログには、今年4月に施行された障害者自立支援法に対する不満や憤りが熱く語られている(興味をお持ちの方は直接アクセスしてお読みください)。
法人の理事としての活動、メールマガジンやブログでの執筆と、時間をやりくりするのはさぞかし大変だろうと思えるが、意外なことに、楠本さんの生活信条は、3Sプラス1Aライフ(つまり、スローに、シンプルに、セーフティに)だそうだ。それでいて、アクティブに活力ある高齢者をめざし、PPK(ピンピンコロリ)と身体をいたわり、死ぬ時はコロリと潔くいきたいのだそう。忙しいからこそ時間をうまく活用でき、無理をせず、目標をしっかりとかかげゆったりと構えているのだろう。それでいて常に読書、社会貢献、深酒禁止、知的好奇心のアンテナをはる、毎日ウォーキングをかかさないなど、実は厳しく自身を律しているのだと納得した。
また、60歳を超えた頃から、かって、ダグラス・マッカーサー元帥(GHQ総司令官)や松下幸之助氏などが座右の銘にしたというサミュエル・ウルマンの「青春の詩」(注)を人生の指針にして生きてきたという。
そして今も、「青春とは、人生のある期間をいうのではない。人の心の様相(ようそう)をいうのだ。・・・中略・・希望ある限り人は若く、失望とともに老い朽ちる」の詩を日々の心の糧として過ごしているそうである。
年はとってもアクティブ! 静かな語りの中にも、高齢者の底知れぬパワーを感じ、リストラ、企業倒産、就職難など、成果主義に走る日本が失ってきたものを思い起こさせてくれるような、なんだか失った懐かしいモノに再び出会えたような新鮮な感動を覚えた取材だった。こんな老年を過ごしたいと思うのは、私だけではないだろう。
以上、<フリーライター・桑島まさき>こと<編集委員(31回生)桑島千秋>のレポートでした。 |