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  <どがんしよらすと?>シリーズI  
 

 最近あの人みていないけど元気? どがんしよらすとやろか? ちょっと変わった(?)活動をし、イキイキ自分らしい毎日を送っている会員を不定期に紹介するこのコーナー。第10回に登場いただくのは、JICAシニアボランティアとしてモンゴルで日本語教師をされている金ヶ江洋子さん(26回生)です。

 
 
(取材・文/桑島まさき)
 
 
 
 

<プロフィール>
金ヶ江洋子(かながえ ようこ)
昭和30年生まれ(51歳)/26回生
福岡での小学校教諭生活の他、フィリピン、アメリカ、沼津での経験を含めると約20年間の教員生活を経て、マレーシア、モンゴルに赴任し現在に至る。

【好きな言葉】 「みんなちがって みんないい」
【趣味】 旅行、テニス、ゴルフ、スキューバダイビング、映画、劇・絵画鑑賞、陶芸、食べ歩き 

 
     
 

物事を始めるのに遅すぎることはない

 
         
 

金ヶ江洋子さん

 

「将来、何になる?」 
この問いに即答できる受験生は恐らく少ないだろう。ただ流されるように受験戦争を勝ち抜くために懸命に勉強し偏差値をあげ、まずは志望する大学へ入学、それから自分探し、といったコースが幾多の人たちがたどってきた道だろう。将来の進む道を見つけることができなくても、「学ぶことが好き」、「人に教えるのが好き」、「子供が好き」という人たちならば恐らく、「将来は教師になろう」と、一度は思ったのではないだろうか。

 相浦中から北高へ進学しテニスに熱中した3年間を送った金ヶ江さんは、「子供が好き」、「あちこち旅し色々な事象に触れることが大好き」な好奇心旺盛な性格を生かし、必然的に小学校の先生になった。福岡で小学校教諭としてのキャリアをスタートさせ、徐々に昔からの夢(海外へ出ること)を実現させるため、まずはフィリピン、マニラの日本人学校で教え、その後アメリカの公立小学校でも経験を積んだ。

 
         
 

 アメリカでの教員研修はお仕着せではなく、日々の教育実践と結びついていて面白かったという。学ぶことの楽しさを知った金ヶ江さんは、教員をしながらアメリカ・バージニア州立の大学院に学び修士課程を修了。帰国後、日本語教育能力検定試験を受験し見事に合格する。そして日本語教師としてのパスポートを取得した。向学心にあふれ、やりたいことをやるための努力を惜しまない人なのだ。

 
         
 
トナカイ遊牧をしている少数民族(ツァータン)と
 
モンゴルの正月
 
 
トナカイ遊牧をしている少数民族(ツァータン)と
 
モンゴルの正月
 
     
 

 教員生活を通して、日本や世界のたくさんの子供たちと接し教えてきた。しかし、世界はまだまだ広い。金ヶ江さんの目は再び世界へ向く。日本と開発途上国の人々を結ぶ架け橋として互いの知識と経験を生かした協力をすすめる「国際協力機構(JICA)」の一員となって、マレーシアのクアラルンプールに赴任し、3年ほどマレーシア食品衛生プログラム強化プロジェクトの業務調整員として働いた。JICAでの初仕事だった。その仕事が完了した後、ピースボートで世界一周した。そして、モンゴルのウランバートルで日本語教師として赴任し2006年10月に完了したが、このたび再赴任が決定しモンゴル行きが決まった。

 
         
 
モンゴル北西部の県オブスで現地の子と
 
教育大学の教え子の家を訪問(フブスグル県)
 
 
モンゴル北西部の県オブスで現地の子と
 
教育大学の教え子の家を訪問(フブスグル県)
 
     
 

 「本当は昔から興味がある南米を希望していたのですが、なぜかアジアの国の仕事ばかり紹介されるのです。佐世保生まれの私がマイナス30度のモンゴルに耐えられるか心配でしたが、それが草原の国が大好きになっちゃったんですよね。遊牧民族の誇りを強く感じました。今度は自分から希望してモンゴル行きを決めました。でも、いつかは南米で日本語を教えてみたいですねえ。そのために次はスペイン語の勉強をしようかなと思っています」

  2006年も残すところ僅かとなった師走のある日、モンゴルへの再赴任を前に最後のつめをするために東京で研修を受けていた金ヶ江さんは、時間をやりくりして取材を快諾してくれ、そう語った。気がつくと海外生活を繰り返しているので、金ヶ江さんの風貌は日本人離れしてみえる。多くの海外生活者が久しぶりに帰国した時、人々に与える印象のように。
 一つの仕事が終わると故郷の佐世保に帰省する。故郷はいつも変わらぬ姿で金ヶ江さんを包み込んでくれる。不在が多いので同窓会に頻繁にでることはできないが、常に連絡をとっている友人たちのおかげで、機会があれば同窓会に幾度か出席してきた。

 
         
  モンゴルの画家たちと旅行した際に立ち寄った牧民一家と  
モンゴル教育大学の2年生と
 
 
モンゴルの画家たちと旅行した際に立ち寄った牧民一家と
 
モンゴル教育大学の2年生と
 
     
 

 故郷が金ヶ江さんの原点であるように、懐かしい友人たちもまた原点である。どんな学生時代を送ったのだろうか。
「テニス三昧で真っ黒に日焼けしていました。私たちのクラスは女子が大変強くて元気に遊んでいましたね。昼休みになると、中庭で鬼ごっこや馬乗りをして遊びましたし、『ふくろうの庭』にあった梅の実から梅酒を隠れて作り、麦茶だと偽って飲んだこともあります。」
頼もしいエピソードを、ころころと笑いながら話してくれた。
一年のうち250日が晴天の“青空の国”で、国土の89%が草原のモンゴル。日本の4倍の国土をもつ国でのびのびと大らかに異国の人々と暮らす金ヶ江さん。訪れるべきして訪れた地なのではないだろうか。金ヶ江さんが何もしていない時は、多分病気の時だけだろう。何かを始めるのに遅すぎることは何もない! 改めてそう思った。

 
     
  以上、<フリーライター・桑島まさき>こと<編集委員(31回生)桑島千秋>のレポートでした。  
     
 
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