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  <どがんしよらすと?>シリーズG  
 

最近あの人みていないけど元気? どがんしよらすとやろか? お元気で活躍されていることは知っているけどなかなか同窓会であえない、イキイキまぶしい毎日を送っている会員を不定期に紹介するこのコーナー。8回目に登場いただくのは、幾多の名誉ある賞を受賞し、日本各地に人々の記憶に残る建造物を作り続けている建築家の岩佐達雄さん(20回生)です。 

 
 
(取材・文/桑島まさき)
 
 
 
 

<プロフィール>
岩佐達雄(いわさ たつお)
昭和25年生まれ(56歳)/20回生
相浦中学から北高進学。熊本大学建築学科卒業後、早稲田大学理工学研究科大学院修士課程に進学。建築家として修業時代を経た後、早稲田の先輩にあたる栗生氏に誘われ、褐I生総合計画事務所の立ち上げに参画する。現在は、事務所代表。
【家族構成】妻、子供(長男・長女)
【趣 味】料理

 
     
 

感動やメッセージとして働きかけるプログラムを仕掛ける、

 
 

それが建築家の仕事

 
         
 

岩佐達雄さん

 

 同窓会に参加する理由も欠席する理由も人さまざまだ。

  20回生の岩佐さんは、残念なことに東京北星会総会に一度も参加したことがない。大学院卒業後、都会で生活していたが総会の存在は勿論、都会にいる同級生と会う機会もほとんどなかった。大方の人がそうであるように、岩佐さんも建築家としての仕事に没頭し余裕がなかった。だが、毎年故郷には家族と一緒に帰省し20回生の集まり「紫集会」には顔をだしていた。

 「50歳を過ぎた頃から、一緒に学んだ友人たちと会い酒を飲む機会をもつようになった。当時を振り返り、その頃自分は何を考えていたか、その頃心に思ったことを実現できているか?

 
         
   単なる懐かしさからではなく、昔の仲間と話すことで原点に帰り、自己確認をしたいと思うようになった。利害も打算もない仲間たちと一緒にいる時間を共有することで、がんばっている仲間をみていると、自分は一人じゃない、と励まされます」
 故郷での集いが縁を結び、偶然にも職場のすぐ近くに同級生がいることがわかり、今年の総会にも岩佐さんは初参加する。
 
     
   自分が進むべき道は既に中学の時から決めていた。
岩佐さんが中学1年生の時、椎木町の自宅を建てることになり、建築とは無縁の父親と2人でグラフ用紙にプランをたて見様見真似で図面をかき、父と子は2人で新居を建てた。図画工作が得意だった岩佐少年にとってこの時のワクワク感が夢の端緒となった。折りしもその頃、日本は東京オリンピックに沸き、丹下健三さんを初めとする日本の建築家が世界から注目を浴びていた。岩佐少年の瞼には彼らの名前や顔がクッキリとインプットされ、漠たる夢は確かな形へと変わっていった。
 
     
   目標が早くに定まり思い通りに進学し、建築家になり、都会で暮らしながら日本各地の様々な建造物に関わった。建築家として意識していることは、
「新しい工法が開発され全国統一規格で同じような建物がたつようになり、独特の文化を形成していたはずの土地がすべて首都・東京のコピーとなる「ミニ東京化」が顕著になっているが、人間と風土、歴史や気候などを重視し人間になるべく近い建築を考えて作っていかなければならない。自分のスタイルではなく場所性を尊重し、人々の記憶にいつまでも残るモノを作っていきたい」という。
 
     
   都会にきて覚えた浮遊感覚は、海や山に囲まれ自分の立ち位置がハッキリしていた佐世保育ちの岩佐さんにとっては全く異質なものだった。この故郷の感覚を子供たちにも味わせたいと思い、毎年故郷へ連れて帰るのだそうだ。  
         
 

 プロポーザルにより国の仕事に関わった。「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」だ。九州での仕事は大分に続き2度目だったが、故郷だけに必然的に力が入った。

 戦争経験者ではないが、県人として〈原爆〉を伝える役割を建物を通して果たしたい。戦争被害者と同じ目線で表現できたら。しかし被害者側だけに立つのではなく公正な視点で、平和への祈りを希求し、なぜ悲惨な戦争が起こるのか自分の心と向き合う静謐な場所を提供できたら……。

 

平和祈念館@

 
         
 
平和祈念館A
 
 
     
   企画から完成までかれこれ6年がかりの仕事だったが、与えられたテーマを忠実に盛り込んだ仕事だったと満足している。結果、この仕事は第8回アルカシア建築賞公共的施設部門ゴールドメダル他多数受賞の名誉に輝いている。  
     
     
 

 建築とは建ててしまえば終わりではない。

 「作るだけではなく、その後どう建てたものが運営されていくかという責任まで負っている。永続的に使われるようにその中にプログラムを仕掛ける、それが建築家の使命です。公共の場に表現する責任が委ねられているのだから、食べれなくてもやる!という気概や情熱がなければできません」と岩佐さん。
 できてしまえば形になったモノへの評価をうけ、人の数だけ批評も批判も分かれるだけに重圧も大きいが、作っている時間がなにより楽しいとのこと。

 
         
 

 故郷について言えば、「もっと美術館があってもいいと思う。引きずっている文化がないだけに、アメリカ文化の真似ではなく、焼き物などを見直し、歩いて楽しい街づくりをし、これから何かを残していったほうがいいと思う」と建築家としての意見を述べた。

 岩佐達雄、56歳、建築家。団塊世代のオジサンたちが生きにくさを覚えているようだが、同世代人として、自分を必要としてくれる仕事がある限り、色あせない情熱がある限り、退屈や老いることへの不安など無縁だということを、年齢を重ねて更に複眼的なセンスに磨きをかけた建築家がエールを送る。

 
         
 

 以上、<フリーライター・桑島まさき>こと<編集委員(31回生)桑島千秋>のレポートでした。

 
         
   
         
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