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どがんしとらすと?

     
  <どがんしよらすと?>シリーズJ  
 

 最近あの人みていないけど元気? どがんしよらすとやろか? ちょっと変わった(?)活動をし、イキイキ自分らしい毎日を送っている会員を不定期に紹介するこのコーナー。第11回目に登場いただくのは、東京医科歯科大学准教授の川野誠子さん(19回生)です。

 
 
(取材・文/阿讃坊竜也)
 
 
 
 

<プロフィール>
川野誠子(かわの せいこ)
19回生
 医学博士、循環器専門医、内科認定医。大学卒業後、東京医科歯科大学・医学博士、EMORY UNIV(U.S.A)研究員、WISCONSIN UNIV(U.S.A)研究員、東京医科歯科大学・助教授、同准教授、現在に至る。

【趣   味】茶道(鎮信流)、ブログ作成、クラシックピアノ演奏

 
     
 

私は自分の故郷を誇りに想う

 
         
 

心臓モデルとともに

心臓の研究のために渡米

 

 東京医科歯科大学准教授、大学院医歯学総合研究科難治疾患研究所、京都府立医科大学客員講師。所属学会は、BIOPHYSICAL SOCIETY(USA)会員、世界心臓病研究学会評議員、日本生理学会評議員、日本心電学会評議員、日本循環器学会員、日本内科学会員、日本再生医療学会員……。川野さんの現在の活動をあげると十指に余る。

 医者として世に言う「勝ち組」人生を歩んできた川野さん。父親は医者だったが、だからといって特別自分も医者になろうと思ってはいなかったそうだ。北松浦郡鹿町町で育ち北高に越境入学した。理系コースに進み、クラスメイトの女子のほとんどが医学部進学をめざしていて、医学部ブームに便乗し自分も医学部に進んでしまったという。気がついたら医学部に進み、医者になっていた川野さんは北高時代を振り返り語ってくれた。

 
  「とにかくいい想い出ばかりでした。尊敬できる先生が沢山居られて、授業も面白かったし、いわゆる詰め込みではなかったし、補習もなく、合コンしたり、海に遊びに行ったり、青春を謳歌したゆったりした学生時代でした。北高というトップクラスの高校の仲間たちは皆北高生であることにプライドを持ち、仲間内での足のひっぱりあいやイジメ等は殆どなかったと思います。今でも19回生の仲間が集まる同窓会は高校時代がそのまま再現されたような心温かい集まりで、とても楽しいものです」。  
     
 

 団塊の世代だ。2007年の現在、熾烈な競争社会をいきぬき日本経済に貢献した企業戦士たちが大量に退職する。そして、それに便乗した諸々のビジネスが展開されている。少し前から団塊世代の企業戦士の生きにくさが目立っていたようだが、川野さんは同世代人として、「人をおしのけたりダマしたりすることを良しとしない教育を受けた世代だと思います。世の中を変えようという理想に燃える政治家もいないし、有名だけど金持ちもいないのが私たちの世代の特徴です」と語る。

 高校時代をバラ色の人生と語る川野さん。医学の道へ進み、臨床の現場から研究者の道へきりかえたきっかけを「ダマされてそうなった」と笑って語る川野さん。巻物のように膨大な心電図を診て、病名を的確に判断する教授の姿に憧れ選んだ心臓の分野。アメリカで研究生活はハードで寝る時間もないほど。ここで分子レベルでの不整脈のメカニズムを解明。一躍時の人となる。日本のシステムとは何もかも違う自由なアメリカでの研究生活は充実していて日本に戻りたくないと考えたほどだった。

 医療の話題になると、「日本の医療の崩壊は雪崩のように起こっています。医者の重労働・過労が問題ですが、それ以上に医師イジメは深刻で、仕事に誇りがもてなくなりつつあります。近い将来日本から優良な医者がいなくなることを心配しています」と俄然熱がはいる。「人間の心臓は結構丈夫にできていますので100歳位迄問題なく働きます。日々の生活習慣に気をつけていれば、特に再生医療の必要性は低いと思います」さらに「これからは100歳以上まで生きる時代です。アメリカではJFKのお母さんも100歳の誕生日を元気で迎えていました。100歳になってもまだ車を運転している老人もいました。日本人のようにやわではありませんよ」。と手厳しい。

 
 

にこやかに語る川野さん    

にこやかに語る川野さん

 「私は故郷を大変誇りに思っています」外国から日本を客観的にみてきたからこそそう言いきれるのだろうか。米軍基地があるせいで外国人を見ても違和感がなく育ち、英語に早くから親しんでいたという川野さんにとって、故郷は知らぬ間に深く自身の生き方に影響を与えていたのだろう。だから、周囲の反対を押し切って単身アメリカに渡り研究生活をすることにためらいがなかったのかもしれない。

 「現在まで悔いの無い日々を一所懸命に生きてきました。私はそのことに誇りを持ちまた満足しているので若い時代に戻りたいなどとは思ったことはありません。若い時は睡眠時間を割いて研究に没頭していましたが、今はマイペースで研究生活を楽しみ、毎月一回は故郷に帰り両親と過ごすゆったりとした時間をもっています」。


 
   惜春の思いに浸ることなく、常にこれからの人生のみに想いを馳せる進歩的な生き方。努力を重ねてきた人だけがたどり着ける境地なのだろう。  
         
         
 
 
     
   
     
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