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<風 景>
この時期は日が長く、新緑が映え、どの街、どの村も木々の若葉に覆われていました。街路樹にはマロニエの赤と白の花が、庭にはライラックの花が咲き、非常に美しく、ごみはどこも散らかっていないのが印象深かった。 |
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<治 安>
治安は、町の雰囲気と住まい及びホテルのドア鍵などの状態から、日本よりかなり良いようです。従って、安心して散歩できた。 |
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< 旧東ドイツ>
旧東ドイツの街は統一後、至るところで、建物の修復が始まっている。それでも街の約20%は戦災を受けた廃家のままで、醜く、暗い感じがした。また、木組みの資料館に入る時、英語が全く通じないのには驚いた。 |
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<木組の家>
木組の家は14〜16世紀にできたものが多く、ツーバイフォウ式で税金を節約するため、一階より二階と階数が上がる毎に面積が広くなり、凝った外装をしているものもあって美しい。現在も、生活の場として使われている。物持ちが良い。
(例)ゴスラー、ヴェルニゲローデ、クヴェルドリンブルク |
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<建 物>
城、教会、修道院は数十年から数百年かけて、建造または改修されているので、様式もロマネスク〜ゴシックと、構造が部分的に変化している。また、教会、修道院は寄金したギルド、組合(例えば、肉、帽子、金細工など)の印を彫刻で表わしているのが多い。 |
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<マリア教会>
プロテスタント、カソリックの区別なく聖母マリア教会が多い。フランスでも同様でした。異教徒の私には、キリスト教の教祖イエスではなく、その母親が崇拝の対象となっているのは理解しがたい。 |
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<聖者エリザベート(1207〜1231)>
ハンガリー出身のエリザベートは、アイゼナハのヴァルトブルク城のルートヴィッヒ伯爵と結婚し、3人の子をもうけた。貧者救済の活動を行い、夫が十字軍遠征の途中で熱病で死亡後は、マールブルクに救貧院を建て救済を継続していたが、過労のため、24歳で死去。その後、ローマ教皇より聖者に列せられた。エリザベート教会に彼女の一生の絵物語がある。
ドイツにも自発精神で困った人のために一生を奉げた人がいたことに心が和む。 |
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<魔 女>
ハルツ山地は、魔女人形がドイツでもっとも多く、年1回の魔女集会の祭りも行われている。実際には、産婆や祈とう師が怨みなどで魔女にされて、火あぶりの刑になったようです。
(例)ヴェルニゲローデ、クヴェルドリンブルク |
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<リーメンシュナイダー(1460〜1531)の彫刻>
リーメンシュナイダーは、ヴュルツブルクの市長までなった天才彫刻家で、彼の木造彫刻は命が彫り込まれていて、見る者に感情が伝わってくる。特に、ヴュルツブルク大聖堂のシェーレンベルク大司教の彫刻は、迫力がある。 |
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<戦争の反省>
リューベックは、第二次世界大戦中、1942年、連合軍の1回の爆撃後、市長が中立宣言をしたため、市街は1割の戦災ですんだ。その時、焼け落ちたマリア教会の鐘が、そのまま戦争の非惨さを忘れないために保存されている。 |
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<飲物、食べ物>
ビールは苦味が少ないものが多く、まろやかな味がする。ぶどうの栽培はドイツ西部が北限であまり赤くならないので、赤ワインは少なく、主体は白ワインでかつ、辛口ワインがうまい。
パンはバター、卵なしで表面が固くて中が粘りがあるのが大変うまい。
食堂では水は有料。旅行中での飲料水の入手は面倒。水道水は硬水なので、沸かして飲めるポットの持込は貴重です。
ドイツは建築、工芸、パン、ワイン、ビールなど手工業は職人養成制度の伝統があり、技術水準が高い。 |
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