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北高校でもっとも貴重な体験をしたのは、高校生の学園紛争事件でした。当時、70年安保闘争が世間を騒がせていました。それを受けてのエンタープライズ事件による佐世保橋事件でした。北高校でもバリケードが築かれました。
このとき以来、卒業式や学校祭等の大きな学校行事がある毎に、職員が交代で徹夜のパトロールをしています。これらの事件で、これまでの意識や制度の上で大きな変革がありました。このことは今でも学校で生かされています。
北高校での教え子たちが世の中で活躍しているのを見たり聞いたりすると、さすが名門北高校の卒業生と近くの人にも自慢をしています。 |
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佐世保を離れ佐賀県の鹿島高校に移ったのが、昭和52年でした。ここで10年間勤務し、それから武雄に自分の家を作り、母校の武雄高校で8年間を過ごし、その後伊万里高校で5年間を過ごして定年退職となりました。引っ越すこと13回。退職後引き続いて講師として、伊万里高校、武雄高校に勤め、いま又鹿島高校に勤務しています。
佐世保北高校から数えると教員生活、実に、連続44年間高校に勤務したことになります。つまり、生徒のときから数えると、学校生活は61年間したことになります。こうやって書いていると自分でも驚いてしまいます。 |
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教室では北高校を出発点として、ずーと進学校で数学を教え、部活ではテニスの顧問をしながら、生徒とともに高校生活を楽しんでいます。相手がいつも高校生ですので年を取るのを忘れているみたいです。元気を生徒から貰っています。 |
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また、テニスは一般の社会人ともしていますので楽しみは2倍ですが、最近は体力が落ちてきているのを痛感しています。家ではコンピュータを楽しんでいます。インターネット、無線LAN、デジカメ、ビデオ、携帯も一応揃えて楽しんでいるところです。 |
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北高校の卒業生の皆さんの、ますますの活躍を祈り、東京北星会の発展を祈ります。 |
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(福田先生に直接メールで連絡を取りたい方は、こちらからどうぞ。) |
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(2005年12月31日受取) |
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