校歌斉唱! 一瞬しーんと張りつめる。在校生は勿論、卒業生も折りにふれ校歌を歌う。いったい校歌とは何だろう。本年六月、東京北星会二十周年会場でのこと。斉唱前に、北高校歌制定委員会は全国でも珍しく、先生と生徒で成っていたとアナウンスされた。会場には、当時共に委員の恩師の姿も見えた。半世紀ぶりの再会だった。
思い起こせば、創立時の校長挨拶では、歌詞は古典的荘重さより、ストレートに理解できる文化スポーツ両面で歌いやすい明快さが望まれた。新しい時代にふさわしく、男女生徒の気持をくみこむ未来指向の選択。そのために、当初は広く各クラス代表参画で発足したと記憶する。あの混乱期での先生・生徒の一体感は特筆に値するといえよう。
歌詞は職員生徒PTA一般よりの募集だったが結果は適切な作品がなく、事実上の委員会作成となった。年内完成が目安とはいえ、年暮の一周年記念文化祭は迫るし受験シーズンには入るしで、出席者数は次第に減っていく。気になりながら、ぼくは制作過程の成就感にひきこまれて出席を続けた。骨格が出来てからの推敲段階で更に手間取り、年が明けてもなお会合は重ねられていった。
生徒の気持をくみこむ基本姿勢にそって、意見交換の自由時間は十分とられた。たまに茶菓子もあって、長時間のふんばり。雰囲気は、先生方に生徒がうなずいて応えるという奇妙な呼吸。「どうかね、この表現は? 起承転結は?」−「すばらしかです」といった按配だ。
まず一番は風景へのいざない。「紫匂ふ烏帽子岳……」香り高い品格すらただよわせて、ふるさとの山が一気に迫りくる。目で嗅ぎとるこの鮮烈な出だしがある限り名作だと信じているぼくには、自由の鐘のなるところとつなぐ二番の明快な躍動感にも、理想につよく生きんかなとたたみこむ三番の魂の讃歌にも、大らかな展開が感じとられた。含蓄豊かな余韻をめざす先生方の悶々たるご心労に頭の下がる思いである。責任の重さを痛感しながら、祈る思いで各々の立場から励まし合った絆は、今なお有難く貴重な思い出となっている。難産の末に生れた歌詞はその後、平井康三郎先生の流麗な曲に支えられ、幾星霜にもわたって歌いつがれていく。
東京北星会でもこのように五百余名が一同に集い、恩師卒業生共々校歌斉唱の時をむかえていたのだ。スクリーンに歌詞が浮きでて前奏が始まった瞬間の緊張感。今一度、共に北高の門をくぐろうとする心の構えなのか。甦える二八の時代。校歌とは、いつどこにいても即座に、ふるさとにかえることのできるよすがなのかもしれない。
こみあげてくる感懐を抑えようもなく、ぼくはやがて目をとじた。スクリーンの文字は見なくても、心で読める。歌は二番、三番とうずたかくこだましながら、青春高揚の句で締めくくられていった。……我が北高に、光あれ。
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