「おう」
その郷土料理店の玄関先に腕組みで立っていた幹事のD君へ私は手をあげた。十幾日も続く好天の秋陽が午後二時の強さで彼の首筋を縁取っていた。
六年ぶりに同窓会へ出席する私の目に、彼の姿はそれを飛越えて十八年も昔に朔ぼる北高野球選手当時そのままといった衡撃を与えた。
「おう」
彼も腕組みを解いて私に応えた。会場へ入ってからも、ながい間跡切れがちだったお互いの対話がこうしてあちこちで回復して行った。
女性群は「あーら」とか「うわー」とか「まあー」とか十人十色の音階をはずませていた。
十二畳程の和室に円座形式─洒落たコップをそれぞれ前にして三十五、六才の男と女が十数人。いつもそうであるらしいけど女性がやはり圧倒的だった。
今日はJさんのニューヨーク行きの送別会も兼ねている。
世話役のAさんから出席者名簿が配られた。(注、この文中のイニシアルは名簿の順序にA、B、C……と打って登場してもらっている)
旧姓という特別な一欄に私は視線を走らせながら、女性に限って彼女らの若い日が若い日のまま額縁に納まり温存されているといった妄想に落ちた。それが理由とはいわないが、今日の主役は女性であっても構わない、というよりそう願う余裕を私は取戻した。ぼくらはもっぱら聞き役でいいのだ。
男性同士は電話番号さえ控えがあればいつでも何がしかの機会はつくれる筈だといった気楽さがあるが、女性となるとそうは行くまい?
ところが実をいうとその願いはとっくに叶えられていたのだった。食事前の飲物の合間にすでに彼女たちの合唱は一オクターブ上った黄色い線上を突走っていたのである。一番遅れて釆たH君はたまたま両手に花の席を有難く頂戴した上、黄色いオクターブに参加するための、首をあちこちと振り分ける運動にも最後まで微笑みを添える余裕を失なわなかったようだ。
乾杯! に続いて食事前に一と回り自己紹介を試みたいというD君の発議で一番手の指名を受けたのがC、即ち私だった。
瞬間、私は安堵した。私の脳裡に、子供向けの探偵小説にあった一シーンがふと廻ったからだ。
それは建物内の幾十人の中に潜んでいる筈の一人の犯人を探し出すために彼等は一人ずつ出口で身体検査を受ける羽目となった。それを知った犯人は別の一番手に出まんまと脱出したのだ。
検査官の緊張度が盛上らないそのスキを狙った訳だ。
私もこの犯人の校滑と倣慢な気転を適用させて頂くことにした。
何故なら、変哲な家庭事情の中を歩いている私には、自分の過去というもの現実というもの、それらをテーブルの上にのせて見るほどに図式化できないままの昨今だった。(しかし何か事情がたとえうとましい中にあっても同窓会を避ける理由にはならないだろう)
「そうですね」一番手である私はうとましい部分を省き、職業の一面だけで勘弁してもらうことにしたのだ。
「今年自分で小さな企業をやってみたけどあっという間に轟沈。目下借財の重みで海底を這い回っていますが、幸い一匹狼なる美名のもとに陸の上ではC産業を営んでおります」
どっちみち私はここのところ浮ばれない日が続いている。
「ヘー、すごいわねェ」の声には恐縮した。その人の前には恐らくC産業だけが残ったのか或はC産業だけが残らなかったかのどちらかであったろう。
こうして『自己紹介』は始まったのだがそれはさておき、二次会へ移る夕刻まで全員、数時間も居座っていた訳で、これからは、その情景をあそこ、ここと掬ってみることで善男善女のご紹介に代えさせて頂こう。
どこからともなく手がのびて来て私のコップにはいつもビールが満たされていた。
「こんなことは家ではせんとばってんね、ホントよ。でも今日は特別さ」対面のAさんはわざわざ腰を浮かせてのサービスぶりだ。私とは、同席のBさんと同じく幼稚園から一緒だった。一緒でないのは、彼女が女学校、女子の大学当時、そして今……。
学童当時は誰しもそれなりの結社に所属する傾向があったのではなかろうか。ずば抜けて優秀な一群が立寵る城は、私にはいやに高く聳えて見えたものだ。幼少の頃から一貫してその城の一員であった筈のAさんなのだが、彼女の気取りのない性格は城の窓からいつも私たちにそそがれていた。
小高くのびた美しい鼻筋のふもとから、これまた美事な佐世保弁が飛出して来るのも昔と変りない。
偶然とはいえAさんBさん共にご主人は名誉ある最高大学の同期生とか。そしてAさんは眼科、Bさんは胃腸科。Bさんは幾年かの外国生活を経て最近帰国。外国へ旅立つ日も迫ったJさんに対する先輩としての世界をマタにかけた体験談には、側で聞いていてもつい浮々させられた。
T君の外国出張体験談が加わるに及んではますます世界の広さも手近かに思えた。何しろ行ってないのはアフリカだけだというから驚くではないか。かつての哲学青年が技術研究者として世界へ飛び出したのも面白い。
Jさんはニューヨークで三年間の予定。彼女の美しさは青い目の中でもしばしば話題をさらうだろう。「日本女性ここにあり、さ。あたしたちの分も背負って立ってね」と、Kさんが悲痛な声で訴えた。悲痛な声といってもそれは彼女が風邪のために出なくなった声を無理にふりしぼったのでそう聞き取れたのだが。彼女のお喋りには、この奇妙な悲痛感が伴なったが、いつどこで会ってもいきなり若い日へ我々を引き戻さずにおかない彼女の性格的な青春のイメージをぶちこわすことには勿論ならなかった。
Kさんの隣りでしっとりと落着いた和服姿のLさんは始終にこにことした顔で合槌をうつばかりに見えたが、時折りもれる彼女のか細い声にしっかりと聞き耳を立ててみて知ったことは、彼女が一つのものを所有しているということだった。それは東京周辺のある場所で、花に囲まれた掛替えのない彼女のものである一家団欒・・・・。
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